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全日本学生馬術大会2023
学生馬術の日本一決定戦、「全日本学生馬術大会2023」が11月1日(水)から6日(月)にかけて兵庫県の三木ホースランドパークで開催された。

優駿ノンフィクションシリーズ 夢舞台から羽ばたく子どもたち その後のジョッキーベイビ...
ジョッキーベイビーズが始まってから14年が経過。20、21年と新型コロナウイルス感染拡大による影響の中断を挟みながらも昨年22年に再開、12回を数えるイベントは着々と歴史を刻んでいる。第1回に中学1年生だった出場者は今年で27歳。「ジョッキーになりたい」と意気込んでいた子どもたちは、続々と社会に巣立っている。彼らは今、どのような道を歩んでいるのか。出場経験者のその後を追った。

人馬一体 躍動の瞬間写す - 日本経済新聞
2014年、アジア競技大会の馬場馬術競技の取材で韓国・仁川へ向かった。海外に一人で行くのは初めてで何もかもがわからず不安だったが、国際大会に出場する選手たちを自分の手で撮影したい一心だった。馬場馬術の日本代表は団体で銀メダルを獲得。表彰式の後、選手たちが「ここまで来てくれてありがとう」と私の首にメダルをかけてくれた。「この人たちのことをもっと伝えていかなければいけない」。そう思った。現在、私

牝馬限定GⅠをドレス姿で彩る"馬の専門職"とは
今回は、いつか誘導馬に乗りたい!どんな職業なのか知りたい!という学生、生徒の皆さんに向けてこの馬取扱技能職を紐解きながら、ドレス誘導の二人の体験談をお伝えする。

優駿ノンフィクションシリーズ ライダーからジョッキーへ 小牧加矢太、25歳の転身
「競馬学校に入れず一度は諦めたのに、まさか障害のジョッキーになるなんてね。夢にも思わんことやで。人生って面白いね。」小牧太は笑顔を見せながらこう答えた。競馬学校を卒業せず、地方や海外からの移籍でもなく、異色の経歴を引っ提げてJRAの騎手となった息子について尋ねた時のことだ。青年期の急激な成長と減量の狭間で苦しみ、一度は騎手になる夢を諦めた小牧加矢太。あの挫折から。10年の歳月を経て、25歳となったこの春に新たな道を切り拓くことに成功した。

おもひでの名勝負・2006年メイショウサムソン(カジリョウスケ)
私が生まれ育ったのは福岡県北九州市小倉南区。自宅から市街地の小倉駅周辺に向かうときにはモノレール沿いの国道322号線を通り抜ける。その沿線を走りしばらくすると巨大なスタンドが姿を現し、“JRA”の緑色の大きなロゴが目に入ってくる。私の生活圏には物心ついた頃から小倉競馬場があった。

日本で“消息不明”となった名馬・ファーディナンドが遺したもの…元競走馬たちと五輪選手...
2021年4月、馬場馬術選手でリオデジャネイロ五輪日本代表でもある原田喜市は引退競走馬関連団体のオールド・フレンズ・ジャパンの活動を開始した。オールド・フレンズ・ジャパンは現在ティーハーフ、サンリヴァル、エイコーンパスなどのサラブレッドを繋養し、2021年10月にデルタブルース[04’菊花賞(GI)、06’メルボルンC(豪・GI)]を導入。今後も知名度のある引退競走馬・引退繁殖馬を導入し、その規模を拡大させていくという。

愛馬の「突然の死」を乗り越えた馬場馬術・黒木茜が、東京オリンピックへの挑戦を諦めた...
東京オリンピックを目前に控えた2021年6月、リオデジャネイロオリンピックの馬場馬術代表の黒木茜は代表選考会を辞退し東京オリンピック出場を諦めた。直前の競技会成績からも十分に戦えるレベルであったし、馬が故障していたわけでもない。ただ、茜自身が感じていた愛馬の状態の違和感が拭いきれず、100%の状態で出ることは難しいと判断したためだという。

GI競走で誘導していたあの人が…JRA職員3人が東京五輪で《総合馬術・馬場馬術》に挑む “...
戸本一真は見事に総合馬術の日本代表に選出された。そして、同じく東京オリンピックを目指していた北原広之、佐渡一毅も馬場馬術の日本代表に決定した。今回選ばれた3選手の競技人生それぞれが、競馬に見るドラマに勝るとも劣らないストーリーを持っている。

「頑張ったね」サクセスブロッケンの“誘導馬引退”と最後のキス ダービーの夢を叶えたふ...
誘導馬になったサクセスブロッケンはついに“2度目”のダービーの舞台に立つという夢を叶えた。そして、担当の葛原耕二はホッと胸をなで下ろした。選ばれた18頭の3歳馬たちを安全に本馬場に送り届け、コロナ禍で外出を自粛しているテレビの前のファンたちを勇気づけるという務めを果たすことができたからだ。

18着に負けたダービーの誘導馬に。サクセスブロッケンが遂に叶えた夢。
関係者やファンは次なる目標をいやが上にも期待した。それは、現役時代に最下位に沈んだ「日本ダービー」を今度は誘導馬として"先導"することだった。


北原広之選手、黒木茜選手対談 馬術選手が見る「サラブレッド」(前編)
「うわー、クロフネすごいな。ゆったりしているな。風格あるな。」と思っても種馬になる。「うわー、トウカイテイオーに一度乗ってみたいなー」と思っても種馬になる。彼らは乗馬にはならなかったけど、その子どもたちが縁あって私たちの元に回ってきて、乗る機会ができて。茜さんが"父馬のイメージ"と重ね合わせてオースミイレブンを見たように、彼らに乗りながら彼らの父馬のことを想像することがあるよ。

2度目の五輪を目指す人と馬の物語。中田晴香オーナーとエジスター。
晴香はエジスターに跨り少し歩いただけで直感的に「この馬だ!」と、思ったという。この時点で決意を固めていた晴香に、喜市は言った。「お前にはこの馬は乗れん。無理や。考え直せ。」と。

PHOTOGRAPHER カジリョウスケ[心象]
世田谷のJRA馬事公苑は1964年の東京オリンピックの馬場馬術の会場となり、長らく馬術の聖地として親しまれてきたが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて大規模な改装が始まり、今はなき光景となった。インドアアリーナの静かな空気感や苑内の指揮を織り交ぜながらフォトグラファーは競技を見つめた。