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栗東の荒川義之厩舎に所属し中央競馬で53戦6勝、2012年の京都大賞典(GⅡ)ではオウケンブルースリなどを相手に重賞を制したメイショウカンパク(騸16)。現在は立命館大学馬術部に所属し、〝龍典〟という名で馬場馬術競技馬として活躍。23年の全日本学生馬術大会では立命館大学の馬場馬術競技団体優勝に貢献した。

栗東の松永幹夫厩舎に所属し中央競馬で39戦10勝、2015年の東京ハイジャンプ、16年の阪神スプリングジャンプとJ・GⅡを2勝したサナシオン(騸14)。16年の中山グランドジャンプ(J・GⅠ)では絶対王者オジュウチョウサンの2着になるなどハードル界を沸せた。現在は北海道の酪農学園大学馬術部に所属し、障害、総合馬術の競技馬として活躍している。

栗東の松永昌博厩舎に所属し中央競馬で52戦7勝、2009年の東京ジャンプS、小倉サマージャンプとJ・GⅢ競走を2連勝したエイシンボストン(騸21)。現在は広島大学馬術部に所属し、清将という名で競技馬として活躍。6度の全日本学生馬術大会出場を果たすなど多くの学生を大舞台に送り出している。

 桜花賞馬ダンスインザムードの2番子であるサトノプレジデント(騸14)。美浦の藤沢和雄厩舎に所属し、中央競馬で22戦2勝の成績を収めた。競走馬引退後は日本獣医生命科学大学で「飛王」という名を与えられ乗馬となり、2019年の全日本学生馬術大会の中障害D飛越競技で3位に入賞するなど学生たちとともにセカンドキャリアを歩んでいる。

美浦の小桧山悟厩舎に所属し中央競馬で21戦2勝、2008年のクラシック3冠競走を皆勤したベンチャーナイン(騸18)。現在は神戸大学馬術部に所属し、凌星という名で19—22年の全日本学生馬術大会に出場するなど競技馬として活躍している。

栗東の境直行厩舎に所属し、競走馬時代は9戦0勝の成績に終わったパープルサンバ(騸20)。競走馬としては好成績を収めることができなかったが、元競走馬が出場可能な馬場馬術の日本最高峰の大会・全日本内国産馬場馬術選手権で4位に入賞するなど競技馬としての素質が開花。多くの若手選手を乗せて全日本クラスの大会にも出場した。

2014年3月24日、甲南大学馬術部の厩舎が全焼する火災が発生。この火事の影響で7頭が亡くなったが奇跡的に2頭が生き残った。その2頭うちの1頭がゴールドガンダム(騙22)だった。

33戦5勝の成績を挙げ、2011年の中山金杯(GⅢ)、中日新聞杯(GⅢ)を制したコスモファントム(騙16)。2歳の暮れから重賞戦線で活躍し、10年の日本ダービーにも出走。2度目の重賞制覇となった中日新聞杯では大野拓弥騎手に初の重賞タイトルをプレゼントした。14年5月に競走馬を引退し金沢大学で乗馬となる。その後は馬術部の障害馬術競技馬となり、全日本学生馬術大会に出場するなど活躍していた。

大学馬術部に活躍している元競走馬と学生とのストーリーを紡ぐ「CAMPUS LIFE」。今回登場するのはアイコン。現役時代は未勝利ながら、母はウオッカの全妹セレブリティで父はディープインパクトという良血。現在は東京大学で学生たちと一緒に過ごしています。

サラブレッド史上8頭目となるJRA通算100戦という競走成績を残したスズカルパン(騸14)。父スズカマンボ、母ルンルンスズカ(母の父ラムタラ)という血統を持ち、栗東の西橋豊治厩舎に所属した。2011年9月のデビューから約9年に及ぶ競走馬生活で100戦4勝の成績を残したのち、引退競走馬の支援事業を行うTCC Japanで繋養されることになる。その後、福岡大学馬術部に預託されたスズカルパンは大学馬術の乗馬として第二の馬生を歩むことになった。

ジョッキーベイビーズが始まってから14年が経過。20、21年と新型コロナウイルス感染拡大による影響の中断を挟みながらも昨年22年に再開、12回を数えるイベントは着々と歴史を刻んでいる。第1回に中学1年生だった出場者は今年で27歳。「ジョッキーになりたい」と意気込んでいた子どもたちは、続々と社会に巣立っている。彼らは今、どのような道を歩んでいるのか。出場経験者のその後を追った。

京都ハイジャンプ(J・GⅡ)を2014、15年で連覇し、07年の新馬戦勝ちから9年連続でJRA競走で勝利をあげたルールプロスパー(騙18)。父ダイタクリーヴァ、母グロウリボンと、両親が20年の牡牝クラシックの出走馬という血統を持ち、栗東の北出成人厩舎に所属した。

2008年の秋華賞馬ブラックエンブレムの初子として2013年10月の新馬戦でデビューしたテスタメント(騸11歳)。母ブラックエンブレムは小島茂之厩舎にGⅠ初制覇をもたらした馬で、父はディープインパクトの超良血馬。テスタメントはその母と馬主、厩舎、生産者を同じくする関係者ゆかりの血統でもある。

2014年、アジア競技大会の馬場馬術競技の取材で韓国・仁川へ向かった。海外に一人で行くのは初めてで何もかもがわからず不安だったが、国際大会に出場する選手たちを自分の手で撮影したい一心だった。馬場馬術の日本代表は団体で銀メダルを獲得。表彰式の後、選手たちが「ここまで来てくれてありがとう」と私の首にメダルをかけてくれた。「この人たちのことをもっと伝えていかなければいけない」。そう思った。現在、私

栗東の音無厩舎に所属し、デビュー2連勝から2018年のホープフルS(GⅠ)や19年のNHKマイルカップ(GⅠ)にも出走するなど中央競馬で13戦5勝の戦績を残したミッキーブラック(騸6歳)。父はブラックタイド、母はアルゼンチンのGⅠ馬マラコスタムブラダで、半妹に19年の阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)を制したレシステンシア、半弟に21年の京成杯(GⅢ)を制したグラティアスがいる良血馬だ。


今回は、いつか誘導馬に乗りたい!どんな職業なのか知りたい!という学生、生徒の皆さんに向けてこの馬取扱技能職を紐解きながら、ドレス誘導の二人の体験談をお伝えする。




「競馬学校に入れず一度は諦めたのに、まさか障害のジョッキーになるなんてね。夢にも思わんことやで。人生って面白いね。」小牧太は笑顔を見せながらこう答えた。競馬学校を卒業せず、地方や海外からの移籍でもなく、異色の経歴を引っ提げてJRAの騎手となった息子について尋ねた時のことだ。青年期の急激な成長と減量の狭間で苦しみ、一度は騎手になる夢を諦めた小牧加矢太。あの挫折から。10年の歳月を経て、25歳となったこの春に新たな道を切り拓くことに成功した。

私が生まれ育ったのは福岡県北九州市小倉南区。自宅から市街地の小倉駅周辺に向かうときにはモノレール沿いの国道322号線を通り抜ける。その沿線を走りしばらくすると巨大なスタンドが姿を現し、“JRA”の緑色の大きなロゴが目に入ってくる。私の生活圏には物心ついた頃から小倉競馬場があった。

2021年4月、馬場馬術選手でリオデジャネイロ五輪日本代表でもある原田喜市は引退競走馬関連団体のオールド・フレンズ・ジャパンの活動を開始した。オールド・フレンズ・ジャパンは現在ティーハーフ、サンリヴァル、エイコーンパスなどのサラブレッドを繋養し、2021年10月にデルタブルース[04’菊花賞(GI)、06’メルボルンC(豪・GI)]を導入。今後も知名度のある引退競走馬・引退繁殖馬を導入し、その規模を拡大させていくという。

東京オリンピックを目前に控えた2021年6月、リオデジャネイロオリンピックの馬場馬術代表の黒木茜は代表選考会を辞退し東京オリンピック出場を諦めた。直前の競技会成績からも十分に戦えるレベルであったし、馬が故障していたわけでもない。ただ、茜自身が感じていた愛馬の状態の違和感が拭いきれず、100%の状態で出ることは難しいと判断したためだという。

戸本一真は見事に総合馬術の日本代表に選出された。そして、同じく東京オリンピックを目指していた北原広之、佐渡一毅も馬場馬術の日本代表に決定した。今回選ばれた3選手の競技人生それぞれが、競馬に見るドラマに勝るとも劣らないストーリーを持っている。

誘導馬になったサクセスブロッケンはついに“2度目”のダービーの舞台に立つという夢を叶えた。そして、担当の葛原耕二はホッと胸をなで下ろした。選ばれた18頭の3歳馬たちを安全に本馬場に送り届け、コロナ禍で外出を自粛しているテレビの前のファンたちを勇気づけるという務めを果たすことができたからだ。

関係者やファンは次なる目標をいやが上にも期待した。それは、現役時代に最下位に沈んだ「日本ダービー」を今度は誘導馬として"先導"することだった。


「うわー、クロフネすごいな。ゆったりしているな。風格あるな。」と思っても種馬になる。「うわー、トウカイテイオーに一度乗ってみたいなー」と思っても種馬になる。彼らは乗馬にはならなかったけど、その子どもたちが縁あって私たちの元に回ってきて、乗る機会ができて。茜さんが"父馬のイメージ"と重ね合わせてオースミイレブンを見たように、彼らに乗りながら彼らの父馬のことを想像することがあるよ。

晴香はエジスターに跨り少し歩いただけで直感的に「この馬だ!」と、思ったという。この時点で決意を固めていた晴香に、喜市は言った。「お前にはこの馬は乗れん。無理や。考え直せ。」と。

世田谷のJRA馬事公苑は1964年の東京オリンピックの馬場馬術の会場となり、長らく馬術の聖地として親しまれてきたが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて大規模な改装が始まり、今はなき光景となった。インドアアリーナの静かな空気感や苑内の指揮を織り交ぜながらフォトグラファーは競技を見つめた。