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2013年のクラシック3冠競走全てに出走し14番人気ながらダービー6着と善戦したテイエムイナズマ(騙12歳)。ブラックタイドの初年度産駒として12年のデイリー杯2歳Sで重賞初制覇を飾り、9歳まで重賞戦線などで活躍し45戦5勝の戦績を残した。競走馬を引退した今、日本大学馬術部で「桜迅」という名を与えられ乗馬として活躍している。

「競馬学校に入れず一度は諦めたのに、まさか障害のジョッキーになるなんてね。夢にも思わんことやで。人生って面白いね。」小牧太は笑顔を見せながらこう答えた。競馬学校を卒業せず、地方や海外からの移籍でもなく、異色の経歴を引っ提げてJRAの騎手となった息子について尋ねた時のことだ。青年期の急激な成長と減量の狭間で苦しみ、一度は騎手になる夢を諦めた小牧加矢太。あの挫折から。10年の歳月を経て、25歳となったこの春に新たな道を切り拓くことに成功した。

私が生まれ育ったのは福岡県北九州市小倉南区。自宅から市街地の小倉駅周辺に向かうときにはモノレール沿いの国道322号線を通り抜ける。その沿線を走りしばらくすると巨大なスタンドが姿を現し、“JRA”の緑色の大きなロゴが目に入ってくる。私の生活圏には物心ついた頃から小倉競馬場があった。

2021年4月、馬場馬術選手でリオデジャネイロ五輪日本代表でもある原田喜市は引退競走馬関連団体のオールド・フレンズ・ジャパンの活動を開始した。オールド・フレンズ・ジャパンは現在ティーハーフ、サンリヴァル、エイコーンパスなどのサラブレッドを繋養し、2021年10月にデルタブルース[04’菊花賞(GI)、06’メルボルンC(豪・GI)]を導入。今後も知名度のある引退競走馬・引退繁殖馬を導入し、その規模を拡大させていくという。

東京オリンピックを目前に控えた2021年6月、リオデジャネイロオリンピックの馬場馬術代表の黒木茜は代表選考会を辞退し東京オリンピック出場を諦めた。直前の競技会成績からも十分に戦えるレベルであったし、馬が故障していたわけでもない。ただ、茜自身が感じていた愛馬の状態の違和感が拭いきれず、100%の状態で出ることは難しいと判断したためだという。

戸本一真は見事に総合馬術の日本代表に選出された。そして、同じく東京オリンピックを目指していた北原広之、佐渡一毅も馬場馬術の日本代表に決定した。今回選ばれた3選手の競技人生それぞれが、競馬に見るドラマに勝るとも劣らないストーリーを持っている。

誘導馬になったサクセスブロッケンはついに“2度目”のダービーの舞台に立つという夢を叶えた。そして、担当の葛原耕二はホッと胸をなで下ろした。選ばれた18頭の3歳馬たちを安全に本馬場に送り届け、コロナ禍で外出を自粛しているテレビの前のファンたちを勇気づけるという務めを果たすことができたからだ。

関係者やファンは次なる目標をいやが上にも期待した。それは、現役時代に最下位に沈んだ「日本ダービー」を今度は誘導馬として"先導"することだった。

日本の場合はサラブレッドと乗用馬が混在しているから必然的にリトレーニングの技術は日本のほうが進んでいるような気がする。今、日本ですごくリトレーニングの機運が高まっていて、難しい性格の馬でもマニュアルに従ってリトレーニングを行えばある程度コントロール下に入れられるようなメソッドが確立しやすくなっている。

「うわー、クロフネすごいな。ゆったりしているな。風格あるな。」と思っても種馬になる。「うわー、トウカイテイオーに一度乗ってみたいなー」と思っても種馬になる。彼らは乗馬にはならなかったけど、その子どもたちが縁あって私たちの元に回ってきて、乗る機会ができて。茜さんが"父馬のイメージ"と重ね合わせてオースミイレブンを見たように、彼らに乗りながら彼らの父馬のことを想像することがあるよ。

晴香はエジスターに跨り少し歩いただけで直感的に「この馬だ!」と、思ったという。この時点で決意を固めていた晴香に、喜市は言った。「お前にはこの馬は乗れん。無理や。考え直せ。」と。

秋近し!ちょっと“文化的なスポーツ”の紹介を。東京五輪時には世田谷区馬事公苑で競技が開催される「馬場馬術」。ロンドン五輪では日本代表に当時71歳の選手が選出され、話題になった。

世田谷のJRA馬事公苑は1964年の東京オリンピックの馬場馬術の会場となり、長らく馬術の聖地として親しまれてきたが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて大規模な改装が始まり、今はなき光景となった。インドアアリーナの静かな空気感や苑内の指揮を織り交ぜながらフォトグラファーは競技を見つめた。